当店名物店員okayanプレゼンツ「ヨタバナシ」。日々のこと、お店のこと、ワタクシのこと、あんなこと、こんなこと、ちょこちょこ書いてます。

January 20, 2009

2008年を語るとき、まずフカザワの言葉が必要だった。

今年初ヨタバナシ....というか、だいたい年末にその年を締める話を書くのが恒例だったんですが、昨年はやっぱり....営業最終日のフカザワの突然の卒業告知、それにまつわるあれこれを書かざるを得ないと、そうなった時....やっぱり僕の口からというよりは、彼女の言葉がまずは必要な気がしましたし、その上で、僕や店長ミヤザキ、そしてお店の物語として、なにか僕に語れることもあるだろうなと。

なので、まずは彼女の言葉から。

今回はとても長くなりますので、覚悟してお読みくださいね(苦笑)

それではフカザワよろしくお願いします。

昨年12月いっぱいでリトル・スター・レストランを離れたフカザワです。初めましての人も、お久しぶりの人も、こんにちは。今まで、どうもありがとうございました。今回、私のわがままで、ヒデキくんや清水さんの時のような「祭」をしなかったり、公表するのも最終日にとお願いしました。ご挨拶もできない人もいて、申し訳ありませんでした。それでも最終日、12月28日にはたくさんのお客さまがかけつけてくれて、とてもうれしかったです。本当にありがとうございました。私は相変わらず風邪もひかずに元気です。
リトル・スター・レストランを始めてから4年半強。まだ5年も経っていないのか、という思いです。もっともっと長いような気がして、それだけ、この4年半は毎日毎日がすごく濃いものでした。
一緒にお店をやらないかと誘われたとき、あまり迷わなかったのは、当時の自分の状況から逃げ出したかった気持ちが半分、そして単純におもしろそうだったというのが半分。店長やおかやんとは、単に友達というだけでなく、(趣味とはいえ)同人雑誌『さはん』という一つのものを作り上げる作業を一緒にしてきた仲間だったので、どこか大丈夫という気持ちがあったからだと思います。本当に迷ったのは、オープン直前。飲食店の仕事経験がまったくない私は、結局練習も何もないままに、準備もぎりぎりの状態で、オープンの日を迎えることになりました。私、大丈夫なんだろうか、この選択で間違っていなかったのだろうか、そう考えました。不安・・・。けれど、もう選んでしまったものは仕方ありません。これが自分に向いている仕事か、自分がしたいことなのかわからない。でも、だめだったらやり直せばいい。そう思った30歳の初夏に、リトル・スター・レストランがスタートしました。
そして今、私はやり直そうとしています。お店がだめだったわけではありません。自分がだめになりそうだったのです。お店を辞めた後どうしよう。もともと会社員でしたし、事務作業は得意で経理もできるので、パートでも何でも、使ってもらえるならお勤めしようかなぁとぼんやり考えていました。でも、やっぱりお菓子作りは何らかの形で続けられないだろうかとも思いました。
まじめだけがとりえの私は、やると決めたらちゃんとしないと気が済まない。お客さまが増えるに連れ、仕事もどんどん増え、それでも要領が悪くて手を抜けず、どうにもこうにもいっぱいいっぱいになってしまいました。最初、お菓子は昔から趣味で作っていたので、せっかくだから甘いものもあったほうがいいだろうという軽い気持ちで作り始めました。やがて売上を伸ばすために、自分に何ができるだろうと考え、お菓子に行き当たりました。そこから、テイクアウトもできるようにしたり、予約注文でお祝いのケーキなども受けたりするようになりました。「おいしい。」と笑顔で食べてくれるお客さまを見ていると、こちらまでうれしくなって、夢中でお菓子を作りました。でも、一層、仕事の時間配分が難しくなってきました。ホール係や経理や事務など、他の業務だって手は抜きたくありません。作れないんだから、売り切れが出ても仕方がない。でも、せっかく食べたいと思ってくれた人をがっかりさせるのは忍びないと思ってしまうのです。もういいかとあきらめたときに限って、ケーキのテイクアウトのためだけに3階まで上がってきてくれるお客さまがいるのです。そんなときは、がんばれと、背中を押されているような気がしました。楽しみにしてくれるお客さまがいる、そう思うとすごくうれしくて、またがんばって仕事ができました。やっていてよかったなと。そして何より、店長やおかやんが私のお菓子を評価してくれることが、自信につながりました。いつのまにか、お菓子を作るという仕事が、私にとってすごく楽しく、重要な仕事になっていました。

やっぱり、お菓子を作り続けよう。

運のいいことに、ちょうどいい物件が見つかり、とんとん拍子に話が進んでいきました。お菓子屋さんへの道がすーっと開けた気がしました。
リトル・スター・レストランから徒歩15分ほどの場所、三鷹駅からは少し離れてしまいますが、南浦の交差点近くで私はお菓子屋さんを始めます。正直、未だにこれが正しい道なのか、わかりません。もっと違う道もあったんじゃないか、そう思うこともあります。でも、失敗するかもしれないけれど、やってみたいと思いました。やってみないで後悔するより、やってみてやっぱりだめだったね、という方が私には性に合っています。だめなら、またやり直せばいい。自分のしたいことは、一生かかって見つければいいんじゃないか、そう思います。もちろん、まだまだ始まったばかりで、これから困難もたくさん出てくるでしょう。現にまだオープン日も決まっていない状態で、しなければいけないこともたくさんあって、あせるばかりです。それでも、今までやってきたことを思うと、店長やおかやん、リトル・スター・レストランのスタッフ、そしてお客さまたちのことを思うと、やるぞーという気持ちが沸いてきます。1人で大変だね、とたまに言われます。確かにお店にいるのは私1人かもしれません。でも、直接的にも、間接的にも、たくさんの人に支えられているので、ちっとも1人の気がしません。
短くさらりとまとめるつもりが、こんなに長い文章になってしまってすみません。こう深く、リトル・スター・レストランと関わってきた者としては、書くことは山ほどあります。が、今回はこのへんで。近いうちに、新しいお菓子屋さんの案内をできると思います。おいしいお菓子を作り、すてきなお店にしていくことが、私からの、リトル・スター・レストランへの、店長への、おかやんへの恩返しであり、お客さまへの感謝の気持ちです。リトル・スター・レストランを離れたとはいえ、未だにリトル・スター・レストランの一員のつもりです。これからもリトル・スター・レストラン共々、よろしくお願いします。

2007年の秋休み、店長ミヤザキとワタクシokayanは自転車を持って北陸新婚旅行なんてのに行ってきましたが、秋休みの最終日はやっぱりみんなで集まって仕込みをし、その後オーナー3人は年末の資金繰りとかスタッフにボーナスを出せるのかとかあれこれと話し合い、そして....ちょっと予約でもして食事に行きました。

そこで、フカザワが切り出したのが....5周年を目処にお店を辞めたいということでした。

それは唐突なようでいて、でも....もうずっと前から、いつかその日がくることはすでに打診されておりましたから、来るべき時が来たんだなと.....だけどやっぱり、ハイハイそうですかと.....簡単に納得できるものでもありませんでした。折しも秋休み前、清水さんが寿退社すると決まったばかりでしたし、ヒデキがすでに辞め、清水さんは春まで......そしてフカザワまでもが....少し時間的には余裕があるけれど、確かに辞めてしまうと。

店長ミヤザキと僕が.....やっぱり一時的であれ、
途方に暮れたのは想像に難くないよね?(笑)

しかしフカザワの言うことももっともでした。
なにも考えずにみんなが出来るものをそれぞれ持ち寄って....リトル・スター・レストランは店長ミヤザキにワタクシokayan、フカザワにミヤザキの母・ミヤザキヨウコの4名の共同出資、共同オーナーのお店としてスタートしましが、その中でフカザワは経理事務方を一手に手がけ、そして好きなお菓子作り.....なにも知らない僕たちには、それでうまくいくように思えました。
しかしオープンしたてのヒマな頃ならまだしも、少しずつお客さんが入ってくれるようになってくると...すでに営業時間中にデザートを作ることは困難になりましたし、そうすると....お菓子作りは開店前か閉店後、ともすればその両方.....事務方の仕事も含めると、かなりの分量、かなりの時間を強いられることになりました。3周年を迎える頃には、ほかのスタッフが入ったとはいえ.....フカザワの仕事は楽になるどころか、さらに増えてしまうようなことにもなりました。

それでも彼女は決して手を抜かなかった。

そんな彼女が辞めたいと言うのだから、
引き留めるわけにはいかない。

彼女の気持ちはわかった....さてと、次は僕らが考える番でした。
2人オーナーになってしまうと決まった今、4人で始めたこのお店は....僕ら夫婦二人が営む店としては.....ちょっと広すぎやしないか?だったら半分は物販スペースにして、客席を半分に、夫婦二人とアルバイト1人くらいで回せるお店にしようか.....でもそんなことするなら....別にこのサイズでやることもないんじゃないか?4人で始めたリトル・スター・レストランは一度閉めてしまった方がいいんじゃないか.....そんなことも、ほんのちょっとは考えました。
でも...結局サイズの問題じゃないわけです。お店は.....すでに僕らオーナーだけのものじゃない。少ないお給料に長時間のきつい仕事、いい条件なんてまるでないのに、ココロを寄せていつも気持ちのいい仕事をしてくれているスタッフのみんな、毎週のようにご来店いただくおなじみのお客さんに、なかなかご来店はいただけないけれど、遠くからでもちょこちょこ気にかけてくださる方たち、個人的な友達や僕らの家族....ここはそんなみんなが気軽に集まれる場所だってこと。それを簡単に、無責任に放り出すわけにはいかないと。
さらに敢えて言わせていただければ....フカザワが辞めてしまうこと.....そんなことくらいでしゅんとして閉めると思われたくもないし....弱気になって縮小したりも、やっぱりまっぴらごめんだ!と、僕らにだってそれなりにプライドのようなものがありましたし、僕個人としては....店長ミヤザキのキャリアに泥を塗るようなこと.....後退は絶対ナシだ!と思いたかった。

なんのこれしき、うちのミヤザキはまだまだやるぜ!.....みたいな(笑)。
いや、決して自分自身ではなくてね(苦笑)。

そんな気持ちを抱えながらの2008年。
とにかくフカザワを安心して辞めさせるためだけの1年間。
景気が悪いとか...そうゆうのもあるけれど、
気持ち的に本当にきつかった1年間。

でも1年かけて、準備して、そしてここまで来れた。
寂しいだとか悲しいだとか、すでにそんな感情は今はない。
彼女をきちんと送り出せたこと、その達成感だけが残っている。

ごめん!やっぱ人が足りないから、しばらくランチだけアルバイトで来てよ!なんてお願いせずにすんだこと....ホントによかったなと、えぇ、ホッとしております(笑)。

フカザワも書いているとおり、本当に濃い日々を僕らはここで過ごしました。
きっとこの先、これほどまでに誰かと分かち合えることもないんじゃないかと思えるほどに、強く、濃く、深く.....本当に小さな家族みたいに....時にそれ以上の結束力で、お互いあれこれ思うところもありながら、たいしたケンカもしなかったし....というか、ケンカしてる場合じゃない!(苦笑)ただただ力を合わせてがんばるしかなかった。がんばってもがんばっても、答えも結果も出ずに、でもさらにがんばるしかなかった。
ヒマでヒマで仕方ない毎日.....お金も気持ちも時間もすり減らしながら、コテンパンに疲れ果てて....お疲れさま〜と手を振ってわかれる。毎日それの繰り返し.....でも、きっとこの先になにか大事なものが待っていると、ただあてもなくそう信じるしかなかった。

そして僕らは今、その大事なもののかけらくらいは、確かに手にしたと思う。
それは思ってたほどぴかぴかしてないし、派手でも立派でも大きくもないけれど。
思いがけず僕らにぴったりだ。

お菓子作りの仕事をまた選んでくれたこと。
彼女にぴったりな、その大事なものを手に、彼女は独り立つ。

もうすでに新しい日々が、
また、がんばるしかない日々が、
こつこつとはじまっている。

がんばっていけるよね、僕らは。
あれだけの日々を、すごしてきたんだもんね。

ありがとうございました。

 
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